早大哲学会 機関誌 『フィロソフィア』(早大哲学会)
研究論文募集要項
- 【応募資格】
「早稲田大学哲学会規則」第五条の会員種別のうち、(1)教員会員、(2)院生会員、(4)一般会員のいずれか。 - 【内容】
哲学に関するもの。 - 【字数】
16,000字以内(400字詰め原稿用紙換算40枚程度相当) - 【提出方法】
電子データ(WordとPDFの二つ)を編集委員のメールアドレスに提出する。メールでは欧文題目を明記すること。 - 【提出期限】
掲載年度の9月末日(※期日が早まっております。ご注意ください。) - 【採用数】
6篇程度。採否については、編集委員が委嘱する査読委員の審査を経て運営委員会が決定する。
編集・投稿規程はこちら。※110号より『フィロソフィア』のオンライン公開を予定しております。著作権規程をご確認ください。なお紙面での出版は次年度も継続されます。
【お問い合わせ先】
・公募論文の提出は [email protected]
・研究ノートの提出およびその他のお問い合わせは [email protected]
『フィロソフィア』最新号(112号)目次
(※電子版はこちら)
| 教員論文 | ||
| ブルーメンベルクと諸現実のレトリック | 西山 達也 | 1 |
| 政治的な生か、哲学的な生か ――トマス・アクィナスとオーヴェルニュのペトルス | 辻内 宣博 | 27 |
| 公募論文 | ||
| カントにおける「哲学的認識」と「直観」の問題 ――『純粋理性批判』「純粋理性の訓練」章の第1節における主張の分析を中心に―― | 道下 拓哉 | 49 |
| 物語的構造における人生の意味と自由意志概念の関係 | 渡辺 浩太 | 71 |
| 特別講演会・研究発表会 要旨 | ||
| 〈特別講演会〉 | ||
| 「カント祭2024」開催趣旨 | 御子柴 善之 | 92 |
| カントにおける「自己認識」概念再考 ――その意義と導入の背景―― | 尾崎 賛美 | 94 |
| 分析的カント解釈を問い直す | 繁田 歩 | 96 |
| カント的自律を現代の自律と接続する試み | 田原 彰太郎 | 98 |
| 〈プラトナー=ヴェーツェル論争〉とは何か? ――カント『人間学』の同時代を再考する―― | 浜野 喬士 | 101 |
| 〈研究発表会〉 | ||
| テウルギアの世界構造 ――イアンブリコスによるプロティノス的世界構造の改変―― | 寺島 奈那 | 104 |
| 研究発表会発表要旨 | ||
| 彼女は天才になれないのか ――天才と性別、フェミニスト美学のゆくえ―― | 石川 茉耶 | 108 |
| シオランにおける認識の問題 ――シオランの「直観」概念―― | 大谷 崇 | 110 |
| 2023年度学部卒業論文の概要 | 111 | |
| 2024年度文学部哲学コース卒業論文題目 | 119 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(111号)目次
(※電子版はこちら)
| 教員論文 | ||
| 哲学的歴史理論の地平 ―― 序 | 鹿島 徹 | 1 |
| カントと常備軍論争 | 御子柴 善之 | 29 |
| 批判哲学という特殊な学についての一考察 | 繁田 歩 | 51 |
| 公募論文 | ||
| ボンヘッファー神学と教会闘争 ――「教会の本質」を中心とした教会理解検討―― | 逢坂 暁乃 | 73 |
| 「自然物に関する義務」再考 ――カント義務論に見る環境倫理の可能性―― | 中村 涼 | 93 |
| 特別講演会・研究発表会 要旨 | ||
| クザーヌスにおける「宗教間対話」 ――『信仰の平和』を中心に―― | 島田 勝巳 | 108 |
| ライムンドゥス・ルルスの「宗教間対話」 ――協和と他者性―― | 鶴岡 賀雄 | 113 |
| 提題趣旨に代えて ――カンタベリーのアンセルムス (1034-1109年)の場合―― | 矢内 義顯 | 117 |
| ヘーゲルの「存在-神-論」 ――ハイデガーのヘーゲル読解から | 関口 拓海 | 121 |
| 研究発表会発表要旨 | ||
| 「自然物に関する義務」再考 ――カント義務論に見る環境倫理の可能性―― | 中村 涼 | 126 |
| 2022年度学部卒業論文の概要 | 127 | |
| 2023年度文学部哲学コース卒業論文題目 | 133 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(110号)目次
| 教員論文 | ||
| ベンヤミン「歴史の概念について」の歴史記述論 ――テーゼXVIIを読み直す | 鹿島 徹 | 1 |
| 公募論文 | ||
| 対話とロゴス ――ハンス=ゲオルグ・ガダマー『真理と方法』におけるプラトン解釈を中心に―― PDF | 阿達 佳子 | 23 |
| 超越論的本質とは何か ――フッサールのプラトン解釈を手がかりにして―― PDF | 岩内 章太郎 | 43 |
| カントの「比較」論 PDF | 道下 拓哉 | 63 |
| The Male Gaze: What It Is and How It Affects Aesthetic Experience PDF | 石川 茉耶 | 100 |
| 特別講演会・研究発表会 要旨 PDF1, PDF2 | ||
| 論理推論の形式について | 岡田 光弘 | 102 |
| 論理表現のグラウンディング ――否定と全称量化の視覚的分析 | 佐藤 有理 | 107 |
| 推論主義に基づく数学的推論の説明とその限界 | 伊藤 遼 | 110 |
| ボンヘッファーの生涯に見る現実と思想 | 逢坂 暁乃 | 115 |
| 実践的観点とは何か ――カント哲学の場合―― | 渡辺 浩太 | 117 |
| イェナ期「知識学」の原理としてのフィクションと実在性 ――「絶対我」概念の再検討―― | 尾崎 賛美 | 120 |
| 存在述語の様相形而上学的分析 | 繁田 歩 | 121 |
| 感情移入とはちがう仕方で ――M・ガイガーの感情移入論批判と芸術体験論―― | 峯尾 幸之介 | 122 |
| 2021年度学部卒業論文の概要 PDF | 123 | |
| 2022年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 127 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(109号)目次
| 教員論文 | ||
| 感覚の共有可能性と個別性(補遺) | 小林 信之 | 1 |
| 動物の倫理 ――徳倫理からのアプローチ―― | 村松 聡 | 23 |
| サルトルの想像力論における想像と知覚の関係 ――ポール・リクールによる解釈を踏まえて―― | 児玉 一嶺 | 49 |
| 研究ノート | ||
| G・ジンメル「秘密――ある社会心理学的素描――」(1907年)試訳 | 植島 幹登 | 71 |
| 『実践理性批判』における自由のカテゴリー表について | 中村 涼 | 85 |
| 特別講演会・研究発表会 要旨 | ||
| 合目的性とニヒリズム ――美の仮象性をめぐって | 小林 信之 | 104 |
| 音楽と情感性 ――メルロ=ポンティとアンリから | 本郷 均 | 108 |
| 天才と共通感覚 ――感性的経験から情動の倫理学へ | 渡辺 洋平 | 112 |
| ハンス=ゲオルク・ガダマーにおける「地平の融合」の概念について ――フッサール、ハイデガーとの関連から―― | 阿達 佳子 | 116 |
| 美学におけるフェミニズム | 石川 茉耶 | 118 |
| ハイデガーにおいて「哲学者でありつづけること」とはいかなることか ――問うための予備考察 | 小林 昌平 | 120 |
| デリダによるフッサール解釈の変遷 ――デリダ思想の前期から中期への展開を理解するための予備的考察―― | 宗利 風也 | 122 |
| 2020年度学部卒業論文の概要 | 124 | |
| 2021年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 128 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(108号)目次
| アリストテレスにおける万有理解とカテゴリー学説 | 岩田 圭一 | 1 |
| 現代の徳倫理の可能性 ――ヌスバウムとマッキンタイアのアプローチ―― | 村松 聡 | 23 |
| 公募論文 | ||
| 垂直性と水平性 ――シオランにおける「真理」と「啓蒙」 | 大谷 祟 | 51 |
| 政治学と倫理学が交錯する地平 ――トマス・アクィナスとジャン・ビュリダン―― | 辻内 宣博 | 73 |
| ヤスパースにおける「実存的交わり」と「理性的交わり」 | 中山 剛史 | 99 |
| メルロ=ポンティの存在論における音楽の位置 | 本郷 均 | 117 |
| 研究発表会要旨 | ||
| カント批判哲学と超越論的反省 ――生成史の観点から―― | 道下 拓哉 | 140 |
| 予定調和の哲学 ――ライプニッツのデカルト批判に焦点を当てて―― | 寺嶋 雅彦 | 142 |
| マイスター・エックハルトの知性 ――本質的始原(principium essentiale)の観点から―― | 若松 功一郎 | 143 |
| 小島雅春先生ご退職に寄せて | ||
| 哲学教育の端緒と終局 ――小島雅春先生ご退職に寄せて―― | 立花 幸司 | 144 |
| 2019年度学部卒業論文の概要 | 154 | |
| 2020年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 156 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(107号)目次
| 「神学」と「存在論」 ――古典期アラビア哲学における『形而上学』解釈の歴史―― | 小村 優太 | 1 |
| パーソンの同一性を巡る現代の議論 ――パーフィットとクヴァンテによる変容―― | 村松 聡 | 29 |
| ベンヤミン『パサージュ論』における売買春論(一) | 鹿島 徹 | 55 |
| エックハルトにおける存在類比と知性の同名同義性 | 若松 功一郎 | 71 |
| 研究ノート | ||
| G.W.ライプニッツ『諸特徴という名の下、1711年にイギリスのロンドンで刊行されたシャフツベリ伯爵の著作に関する判断』(1712年)試訳 | 寺嶋 雅彦 | 89 |
| 公募論文 | ||
| LKとタブローの対応について | 齋藤 暢人 | 120 |
| 研究発表会・特別講演会要旨 | ||
| 善が第一原因であるとはどういうことか ――新プラトン主義の摂理論―― | 西村 洋平 | 122 |
| 世界への善の流出 ――アラビア哲学における最善世界 | 小村 優太 | 127 |
| ラテン哲学における新プラトン主義とアリストテレスに関する一考察 ――流出から創造へ―― | 小林 剛 | 131 |
| カントの自己認識論における自己触発 ――注意作用に着目して―― | 尾崎 賛美 | 134 |
| ア・プリオリな実践的総合命題 ──カント道徳法則の根本問題── | 中村 涼 | 137 |
| 2018年度学部卒業論文の概要 | 139 | |
| 2019年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 146 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(106号)目次
| エポケーと無関心性 | 小林 信之 | 1 |
| ヘルダーリンの「ソフォクレース註解」における悲劇的なものと歴史の理論 | 西山 達也 | 19 |
| われら善にして義なる者たち! ――ニーチェとレヴィナス | (著)ジェラール・ベンスーサン/(訳)西山達也 | 43 |
| 公募論文 | ||
| フライベルクのディートリヒにおける「本質」概念について ――存在と本質の同一性の議論に即して―― | 西村 雄太 | 63 |
| 「生の意味」としての時間 ――メルロ=ポンティ『知覚の現象学』における「時間性」章の読解 | 峰尾 公也 | 89 |
| 研究発表会・特別講演会要旨 | ||
| 悲劇的なものと歴史の媒介機能 | 西山 達也 | 112 |
| 運動としての絶対者 ――シェリング自然哲学の検討 | 三重野 清顕 | 115 |
| 純粋な言葉としての記号 ――ヘルダーリンと悲劇的実存 | 森田 團 | 119 |
| 自己知の体系的統一 ――カントの批判哲学をてがかりに―― | 尾崎 賛美 | 123 |
| 実在的対立と無の問題 ──前批判期のカントを手掛かりに── | 繁田 歩 | 126 |
| 2017年度学部卒業論文の概要 | 128 | |
| 2018年度卒業論文題目一覧 | 137 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(105号)目次
| 三木清の再検挙と獄死をめぐって(二) ──速水融氏へのインタビューから | 鹿島 徹 | 1 |
| 「私の花は実である」(シラ書二四・二三) ――エックハルトにおける原因・結果同一の思惟構造―― | 田島 照久 | 29 |
| 前期ハイデガーにおける存在論的差異について | 橋詰 史晶 | 61 |
| 公募論文 | ||
| 本質直観とモナドの目的論 | 岩内 章太郎 | 85 |
| なぜ道徳は哲学を必要とするのか ――イマヌエル・カントの場合 | 田原 彰太郎 | 103 |
| ライプニッツの身体論 ――初期の医学著作に基づいて―― | 寺嶋 雅彦 | 121 |
| エックハルトの所有論 ――所有からの自由、そして自由な所有へ―― | 松澤 裕樹 | 143 |
| 研究発表会・特別講演会要旨 | ||
| 「私の花は実である」(シラ書二四・二三) ――エックハルトにおける原因・結果同一の思惟構造―― | 田島 照久 | 168 |
| クザーヌスにおける神化思想 | 阿部 善彦 | 171 |
| ヴァーレンスによるサルトルの理解と前期サルトルの他者論 | 児玉 一嶺 | 176 |
| 人間が現存在していない場合、「人間は動物である」という命題は真か ――中世における一論争と本質主義的立場における存在理解について―― | 西村 雄太 | 178 |
| 田島照久先生ご退職に寄せて | ||
| 「共に読む」こと ――田島照久先生ご退職に寄せて―― | 菊地 智 | 180 |
| 徳不孤必有隣 ──田島照久先生のご退職に寄せて── | 松澤 裕樹 | 183 |
| 田島照久教授略歴・主要業績 | 187 | |
| 2016年度学部卒業論文の概要 | 194 | |
| 2017年度卒業論文題目一覧 | 207 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(104号)目次
| 三木清の再検挙と獄死をめぐって(一) ──速水融氏へのインタビューから | 鹿島 徹 | 1 |
| Opferbereitschaft und Exklusivität in der Solidaritätsgemeinschaft | 御子柴 善之 | 186 |
| 公募論文 | ||
| ベルクソンにおける宗教性について ──魂の「知的健康」をめぐって── | 大沢 啓徳 | 31 |
| 「子どもの哲学」における対等な尊重 | 小川 泰治 | 49 |
| スピノザと法規範 ──古典的自然法論と法実証主義の間で── | 河合 孝昭 | 67 |
| 「不可通なるもの」への道 ──ハイデッガーにおける「神」への問いと、エックハルト・華厳教学との関わり | 小柳 美代子 | 85 |
| デリダのフッサール解釈における現前と非現前の関係 ──現前の形而上学を越えて── | 橋詰 史晶 | 101 |
| 「中間」における言葉について | 本郷 均 | 119 |
| 賛美の言論と哲学の言論 ──プラトン『イオン』とソクラテス的吟味── | 宮崎 文典 | 137 |
| 部分と対合 ──メレオロジーにおける構造── | 齋藤 暢人 | 172 |
| 研究発表会・特別講演会要旨 | ||
| 懐疑論再考 | 佐藤 真理人 | 188 |
| カント『判断力批判』の読み方 | 那須 政玄 | 191 |
| ライプニッツにおける完全性と本質の量 | 寺嶋 雅彦 | 194 |
| 享受は美的たりうるか ──美の根拠をめぐって── | 峯尾 幸之介 | 196 |
| 早稲田大学哲学会春季研究発表会 | ||
| フッサール現象学における類似性概念の意義 ──普遍の問題の観点から── | 橋詰 史晶 | 201 |
| ハイデガーと時間性の哲学 | 峰尾 公也 | 202 |
| 早稲田大学哲学会秋季研究発表会 | ||
| 前期ハイデガーの真理概念の意味について | 神谷 健 | 203 |
| エックハルトにおける「或る一つの力」としての人間知性について | 西村 雄太 | 204 |
| 佐藤真理人先生ご退職に寄せて | ||
| 佐藤真理人先生のご退職に寄せて | 大沢 啓徳 | 205 |
| 佐藤先生の研究室の風景 ──ご退職に寄せて── | 橋詰 史晶 | 209 |
| 佐藤真理人教授略歴・主要業績 | 211 | |
| 2015年度学部卒業論文の概要 | 216 | |
| 2016年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 226 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(103号)目次
| アイステーシス再考 | 小林 信之 | 1 |
| エックハルトの人間本姓理解 ――インマヌエルという観点から―― | 田島 照久 | 132 |
| 公募論文 | ||
| イデア、イメージ、シミュラクル | 増田 靖彦 | 19 |
| 「純然たる無」 ――マイスター・エックハルトの異端審問文書における存在理解―― | 松澤 裕樹 | 35 |
| 真理と他者 ――ガダマーの対話的理解をめぐって―― | 古澤 典也 | 57 |
| 分析的存在論のメレオトポロジー的基底 | 齋藤 暢人 | 110 |
| 研究ノート | ||
| ジョルジオ・トネリ「『判断力批判』テクストの生成」(一九五九)【後篇】 | 浜野 喬士 | 73 |
| 研究発表会発表要旨 | ||
| 心身問題 ――「語り得るもの」と「語り得ないもの」―― | 石田 安実 | 134 |
| 心身問題の3つの層 ――中枢・クオリア・この私 | 西川 麻樹 | 136 |
| 「民藝」の哲学的意義 | 大沢 啓徳 | 139 |
| エックハルトにおける「形相」(forma)概念の諸相 | 若松 功一郎 | 141 |
| 2014年度学部卒業論文の概要 | 143 | |
| 2015年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 150 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(102号)目次
| 実践哲学が直面する課題 ――独断論と相対主義の狭間で―― | 村松 聡 | 1 |
| Toward an Alter-Globalization of Philosophy ――From the Northeast Asian Perspective―― | 鹿島 徹 | 86 |
| 公募論文 | ||
| 哲学の対象としてのスポーツ ――ワイス、レンク、滝沢の試みから―― | 関根 正美 | 23 |
| 哲学・生・存在 | 内藤 麻央 | 41 |
| 研究ノート | ||
| ジョルジオ・トネリ「『判断力批判』テクストの生成」(1954)【前篇】 | 浜野 喬士 | 59 |
| 研究発表会発表要旨 | ||
| 関係の存在論としての超越論的観念論の展開 | 久保 陽一 | 88 |
| ドイツ観念論の三つの道 | 長島 隆 | 90 |
| S・ダーウォルの実践的権威論 ――二人称的観点からの他者論に向けて―― | 小川 泰治 | 93 |
| シェリングとヘーゲルの芸術観 ――「自然模倣説」への批判を中心に | 瀧本 有香 | 95 |
| エックハルトにおける知性の非被造性について | 西村 雄太 | 97 |
| 2013年度学部卒業論文の概要 | 99 | |
| 2014年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 107 | |
| 雑報 | ||
『フィロソフィア』(101号)目次
| アリストテレスの感覚論における「性質的変化」の問題 | 岩田 圭一 | 1 |
| Vertrauen und Menschenrechte in der globalisierten Welt | 御子柴 善之 | 94 |
| 公募論文 | ||
| ベルクソン哲学における「いのち」への問い ―現代における「具体性」の回復のために― | 大沢 啓徳 | 27 |
| デーモスとの同化 ―プラトン『ゴルギアス』における弁論家の吟味― | 宮崎 文典 | 47 |
| Herman’s “Enlarged Version of Kantian Theory” ―View from the Deliberative Field― | 田原 彰太郎 | 84 |
| 研究発表会発表要旨 | ||
| アリストテレスのデュナミス論と「質料の概念」 | 岩田 圭一 | 96 |
| 「デュナミス」の文法とその射程 | 河谷 淳 | 98 |
| デュナミスの系譜学 ―ハイデガーによるアリストテレス『形而上学』第九巻解釈の視座― | 齋藤 元紀 | 101 |
| 憎悪のオデュッセイア ―シオランのペシミズム― | 大谷 崇 | 103 |
| 伝統と普遍性 ―ガダマー『真理と方法』を手がかりに― | 古澤 典也 | 105 |
| 早稲田大学哲学会秋季研究発表会 | ||
| ブーリとヤスパースの出会いと決別 ―キリスト教信仰と哲学的信仰― | 岡田 聡 | 107 |
| 2012年度学部卒業論文の概要 | 108 | |
| 2013年度文学部哲学コース卒業論文題目一覧 | 118 | |
| 雑報 | ||
